痰濁

 コロナ禍は、地球という身体に訪れた「病」であると考えることができます。その病に対する生体反応としての症状が、地球の免疫細胞である人類という部分に起こっていると考えてみましょう。

 

 いま、東洋医学では、COVID-19で起きている症状は「湿熱(しつねつ)」と「痰濁(たんだく)」が中心になっていると舌診・脈診などから診断されています。そこで、中国の医療を行なっている中医たちは「湿熱」に対する双黄蓮や、「痰濁」に対する清肺排毒湯を処方して効果がみられたと発表しています。このことから分かることは、この病を治すためには、湿熱と痰濁の原因となる生活を変えることが必要だということです。

 

 新型コロナの感染症でも、この「湿熱(熱)」と「痰濁(脂と水)」の漢方治療がなされているのです。つまり、新型コロナも含めたこれらの現代的国民病を治すためには、表面的な原因物質から逃げ回ることではなく、その原因となっている生活を改善しなければならないということなのです。

 

 「湿熱」「痰濁」を生じる原因は、① 精神的なストレス(心の熱)、② 遅い食事・睡眠による陰虚、③ 過剰な動物性食品の脂と熱の摂取です。

 

・精神的なストレス


 とあるお坊さんが、「現代人を見ていると、未来の不安のために現在を犠牲にして働き、働き終わったと思ったら病気になって、今度は貯めてきたお金を使って不安の中で死んでいく人が多い。それでは生きていることにはならない。」というようなことを言っていました。僕は「昔はよかった」的なことを言うことがあまり好きではありませんが、このことに関しては、確かに昔の人よりは現代人のほうが、無目的な労働の中で、将来的な不安に対するストレスを感じて働いている方が多いと思います。それは、人類全体の生産性が向上し、そんなに働かなくてもいい時代になってきているのに、監視や過剰な消費を生み出すためのマーケティングといった労働を無理矢理作り出している現状があるからです。


 「機械が進化すれば、生産力が向上して人間が働く時間は減り、2030年には週15時間の労働時間になるだろう。」と、1930年に経済学者のケインズは予想をしていました。生産力の向上は彼の言う通り、100年前の8倍程度になりました。ところがそれにも関わらず、現在の人間の労働時間は明らかに増えています。なぜ、人間の労働は増えているのでしょうか。


 iPhoneのヴァージョンアップもわかりやすい例です。iPhone5あたりまでは、モデルチェンジによる機能改善を感じることができましたが、近年のヴァージョンアップは、アプリケーションのインストールができなくすることによって、大した機能の改善もないのに、消費者が無理矢理更新せざるを得ない状況をつくりだしているだけに僕は感じます。


 教師の方々の平均労働時間が、医師の労働時間を超えたそうです。それに伴って教育の水準が上がったのかと言えば、増え続ける雑用のために、生徒と接することのできる時間が減って、むしろ教育水準は低下しているようにさえ見えます。


 医師の世界でもそうですが、増え続ける公園の禁止事項のように、保護者の教育者に対する監視、それに伴う国からの教育機関への監視が強くなったことで、その対策のために、何の生産性もない確認・承認作業という事務手続きが増え、無駄な労働時間が増え続けた結果です。その背景には、キリスト教的な人は罪人として降りたったものであり、人間は働き続けなければならない。という価値観があるとも言われています。ところが医学的な観点からすれば、やりたくないことを無理をして続けることは、野生の動物たちと同様、健康を害することになります。特に監視に対する非生産的な諸手続きは、人間に仕事の価値を実感させることができません。その作業によって増え続ける労働時間と精神的なストレスが、現代人の中に熱を生じさせる大きな原因となっているのです。


 仕事というものは「好きなことをやらずに、嫌いなことを我慢して続ける」のが当然だ。というような世の中の流れが、この数十年で加速したように思います。学校の教室というシステムは惰性の強い制度で、教師が前に立って、生徒がだまってノートを書くというスタイルが随分前から続いています。ところがここに来て、増え続ける教師の方々のうつ病と、座っていられない児童や、登校拒否児童。世の中はもう限界に差し掛かっているようにさえ僕の目には映ります。教室で勉強をするという長らく続いてきたシステムも、大きな変革を迫られているのではないでしょうか?現代社会の多様性は指数関数的に拡大しています。それに伴い、どんな生き方でもできるように、先進国の物質的な環境は成熟したのではないでしょうか。座学が好きな子、得意な子は、自宅で好きなだけ勉強をして、学校は楽しいことをする場所に専念して、行きたい子だけが行く場所、子どもたちのさまざまな可能性を、教師が観察・援助する場所に徐々に移行していけば良いと僕は思っています。AIの台頭により、これまで以上に学校での学問が、子どもたちが生きて行く上で実用性のない情報になっていく可能性が高いでしょう。


 このように書いてくると、世の中はどんどんと悪い方向へ進んでいるように見えますが、僕はこれから、コロナ禍のおかげで、ここちよい社会、つまり一人一人が見失っていた真の豊かさというものへと、生きる価値観のパラダイム・シフトが起こるのではないかと期待をしています。そして、その変革こそが、この本で考えてきた現代病を治すことにもつながってくるのだと考えています。


 地球という身体の免疫細胞である人類は、新型コロナの情報に対して過剰な免疫応答をしている部分もありますが、一方で改善のしようがないとまで思われたアレルギー的な「科学至上社会」による「監視」の増大と、それに伴う「クソどうでもいい仕事」、都市部への過剰な集中と、農業や自然に対する畏敬の念の喪失などといった、現代社会が抱えたさまざまな「症状」が、治癒の方向へと動いている部分もあるように感じてます。


 例えば、コロナ禍では世界中の国民が天体のリズムに引き寄せられ、早く寝るようになりました。満員電車による通勤というストレスもだいぶ緩和され、人が密集しすぎた都会からも人が散らばり、居酒屋がやっていないことは寂しい限りですが、遅くまで飲み歩くことも少なくなりました。これに便乗して、昔の日本のように、1日2食にして、16時から宴会というリズムに変わったらいいのになぁ〜と思っています。働かなければならないという強迫観念から解放されて、働きすぎと消費しすぎに歯止めをかければ、それを実現することが可能な世の中になってきました。


 コロナ禍以前の元の生活に戻ろうとする古い免疫細胞もだいぶ減ってきたように見えます。東京には無駄がなさすぎました。社会というものは無駄があるほど、いざという時の対応能力が高まり、社会としては成熟度が高まるのです。これからは人口も分散して、人類の自然回帰も進むでしょう。そうした緊張状態の緩和が、人々の心と体をゆるめ、公園から禁止事項の看板が減っていく社会も、夢の社会ではないのではないかと思っています。こうした変化は、国のような上部組織ではなく、小さなコミュニティーから少しずつ始まっていく可能性が高いでしょう。


 コロナ禍は、まぎれもなく人類史上初の大事になっています。だからこそ、根本的な大異変が、この世界に起きます。SARS-CoV-2というウイルス自体の致死率が、今のところはそれほど高くないことを考えると、人類が自然のシステムを破壊しない限り、この騒ぎには必ず終わりが来ます。そして、この病に対するアレルギー反応が落ち着いたころに、人類はこれまでにない革命を体験することになるでしょう。人間が広い意味での新しいアートやサイエンスを生み出すとき、つまり新しい価値を生み出す前には、必ず「つまらない」とか「不便だ」という負の感情が、人間のクリエイティビティーを刺激します。その感情が強ければ強いほど、負の状況を正の状況へと変換するアートやサイエンスの力が発揮されるのです。いまの世の中は、もうさすがに限界。。。という状態にまで「つまらない」と感じている人が多いでしょう。これだけの精神的な限界が来たあとには、人間の価値観や生活が大きく変わるチャンスです。


 9.11や3.11ほどの大きな惨事があったにも関わらず、人類はあまり変化をすることができませんでした。そんな世の中を見て、街に備え付けられた監視カメラや、児童公園に立ちはだかる禁止事項の看板が増え続ける社会に、「いったい、いつになったら終わりが来るんだろう」と悲観的な気持ちになっていました。それは都会に無駄な場所がなくなっていたことと無関係ではないでしょう。「東京には空がない」と智恵子は言いましたが、現在の東京には、「無駄な場所」がほとんどありません。それは、まさに「密」になりすぎていたのです。ところが、今回ばかりは、世界中の人類がひとつの共有している問題について真剣に悩んでいます。みんなさすがに「これはおかしいぞ」と気づいてきています。世の中の現象は、あらゆる周期を繰り返してきました。世界的なウイルス感染症の周期もみごとに100年で訪れました。限界に差し掛かっている監視の増幅と信頼の減衰の波が、ここで入れ替わってきて、人類の少しでも多くの人が、生きる喜びとは何かを考え直すことになることを、僕は期待して止みません。


・遅い食事や睡眠


 元来、電気がなかった人類は、太陽と月のリズムの中で生活をせざるを得ませんでした。電気による照明というテクノロジーを獲得した現代人の食事や睡眠は、徐々に遅くなっていきましたが、何百万年もかけて出来上がってきた人類の臓器、つまり身体は、そんなリズムの変化に対してすぐに順応することはできません。脳に関しては20万年前からほとんど変化をしていないという説もあります。特に身体のエネルギーやリズムを司る「腎」は、光や天体からの引力、そして食事のタイミングによってリズムをつくる臓器なので、遅い時間の食事や睡眠は、その機能を弱め、夜に冷ますべき体内の熱を冷ませなくなってしまうのです。


 日本人は元来、1日2食であったと言われています。日の出とともに朝5時頃に起きて一仕事して、9時か10時ぐらいにゆっくり食事をして、もう一度働くと16時ころから宴会をして、日の沈む20時頃には床に着く。そうした太陽と月のリズムに同調した生活をしていました。コロナ禍で在宅ワークが増えた人の中には、「三度の食事が大変で。」という人も少なくありません。在宅ワークという新しい生活スタイルを利用して、三度の食事を二度に減らすと、一回一回の食事の時間を増やすことができ、ちゃんとしたゆったりとした食事がとれるようになります。そうしたことが可能な生活であれば、そうした食生活の変化を楽しむことも、コロナ禍を楽しく健康に過ごすためには良いことでしょう。早めの夕食で夜にお腹が空いてしまう人は、塩スープをとることで、空腹感が収まるだけでなく、腎の機能を高めることができます。翌朝の朝食を楽しみにしながら、健康的なリズムを獲得していることに満足しながら床につきましょう。



・過剰な動物性脂肪の摂取


 病の治療を考えるときには、「You are what you eat:あなたはあなたが食べたものからできている」のですから、地球という身体の中の免疫細胞である人類の「食」に関する問題を考えないわけにはいきません。現代生活における食べものに関して、環境問題も含め、「病」の原因となりそうな食べもののうち、もっとも自然のしくみを乱し、大きな社会問題となっている食べものは、牛鳥豚に代表されるような「家畜」の大量生産です。白砂糖や、化学塩、精製小麦、白米などの大量生産も深刻な問題ですが、肉の問題は、それらの食べものよりも、圧倒的に大きな環境被害と健康被害をひき起こしています。


 そもそも、肉を1kg作るには、およそ14~20kg程度の穀物が必要とされます。そんな高価な肉は、これまでの人類史上、遊牧民でもない限り、ほとんどの人が毎日のように食べれる食べものではありませんでした。実際、僕の幼少期のころは、肉といえばご馳走でした。現代社会の闇のひとつには、自分が日々食べるものが生産される場を見ていないということにもあります。ひと昔前であれば、肉を食べるためには、動物を殺すところから始まるので、それを食する時は、今よりももっと、神聖な気持ちになっていたことでしょう。ところが、今やきれいにパックされた状態で肉を気軽に買えてしまうだけでなく、肉の方が野菜より安かったりもする異常な状態があるのです。


 「価格が安い」ということはすなわち「人件費を削っている」ということであることを消費者である私たちは常に意識をしなければなりません。


 安いもの=人件費の低いもの=機械化・化学物質を用いている=労働賃金を下げるもの


 このことは私たちが食事のことを考えていく上では、欠かせない認識です。製品ができ上がるまでの人間の労働が機械化されればされるほど、人間の労働は減り、資本家の利益は上がります。機械化に成功した大手チェーンが拡大していけば、中小企業は価格競争で負け、失業した企業の労働者を、より安価な賃金で雇うことができるようになり、貧富の差が拡大していきます。消費者が製品の質に関わらず、安価なものを選択すればするほど、この傾向に拍車がかかります。近年、日本中のどこへ行っても大企業のチェーンがある状況はその結果なのです。


 食事の問題において、経済における「機械」と同じ役割をしているものは「遺伝子組み換え作物」とその特性を活かす「化学物質」などのテクノロジーです。農作物や食品の値段を安くして利益を上げるには、その生産過程からできる限り人件費を削れば良いのです。味噌は自然に発酵させるよりも、化学物質を使って早く発酵させ、カビの除去には防腐剤を入れればいい。トウモロコシは他の生物が生きられないような強烈な農薬をまいて、それに耐えうるように遺伝子を組換えたトウモロコシをつくることで、除虫作業の人件費と時間を減らして、機械で収穫しやすい均一なトウモロコシを大量生産します。家畜は高栄養価・低コストのこのトウモロコシを餌にすれば、放牧せずに厩舎で飼って、これまでにない大量の「肉」を安価で消費者に届けることができる。だけど、一度そのトウモロコシを植えた土地は、ながらく他の生物は生きられない土地になってしまうのです。これが、今の世の中で起きている現実なのです。


 日本は大丈夫だと思っている方も多いですが、日本のトウモロコシの70%程度はアメリカから輸入しており、アメリカのトウモロコシの99%は遺伝子組み換えのトウモロコシです。つまり日本にあるトウモロコシの最低7割ちかくは遺伝子組み換えなのですが、それが食卓に出てこない理由は、家畜の餌にその大量のトウモロコシが使われているからです。それは、実質的に私たちが遺伝子組み換えのトウモロコシを食べていることとあまり変わりがありません。


 私たちの病の多くが食生活に問題があるように、世の中の諸問題の根底には、食事の問題があります。消費者として大切なことは、そういった理由で安価になっているものを購入するということは、その生産者に対して投票しているようなものだという「消費責任」を自覚することです。消費者の私たちが積極的に問題意識を持って選択行動をしていけば事態は変化します。「We are what we eat」なのです。


 現代社会は明らかに、動物性タンパクを摂取しすぎています。僕は糖質制限やケトジェニック・ダイエットの理論を支持する部分はありますが、炭水化物に代替するタンパク源を動物性のものにしている方の平均寿命は、植物性タンパクの方に比べて20%前後総死亡リスクが高いことが、コホート研究のメタアナリシスで示されました。炭水化物は50~65%が一番長生きです。動物性タンパクの摂取率とCOVID-19との死亡率の相関性のデータもこれから出てくるかもしれません。


 病というものは、そうした食生活の歪みから生まれ出てくるものです。いま、世界の中でも死亡率の高い国は、僕の母国ブラジルや、アメリカといった、朝から肉を食べるような国です。インドは感染者こそ多いですが、その死亡率はそれほど高くありません。また、アジア圏の死亡者数の少なさのファクターXは、発酵食品にあると僕は考えています。発酵した海から発生した陸上生物にとって、塩と発酵食品は腎を強め、熱を冷やしてくれるのです。現代社会は「腎」が弱っています。言い換えれば、寿命が伸びた分、生命力の源である「腎」の機能を、より強靭なものにしなければならない時代に入ったのだとも言えます。